プロレス

入門前

大手製紙会社のサラリーマンであった父親の赴任先であるワシントン州シアトルで生まれ、2歳で帰国し、川崎市多摩区、東京都渋谷区を経て三鷹市で育った。東京都立永山高等学校ではサッカーと暴走行為に明け暮れ、その後「親が大学に行けとうるさいから」との理由から浪人して神奈川大学に進学するが、同時期に受けた新日本プロレスの新弟子試験に合格。大学に籍を置いたまま入門し、後に中退した。

新日本プロレス時代 若手時代(1984年~1989年)
1984年4月に新日本プロレスへ入門し、同年10月にデビューを果たす(初戦の対戦相手は同じくデビュー戦の武藤敬司)。1987年の第3回ヤングライオン杯で橋本真也を破り優勝。優勝後、海外遠征に出発しオーストリア、ドイツを転戦。ドイツでは現在の夫人であるマルティナ・カールスと出会う。

蝶野選手は1988年7月に武藤、橋本とともに“闘魂三銃士”を結成して新日本プロレスにワンマッチ帰国。その後、アメリカ合衆国カンザスシティやアラバマのNWAテリトリーで活動する。1989年4月、新日本プロレスによるプロレス界初の東京ドーム大会ではIWGP王座決定トーナメントに出場したが、ビッグバン・ベイダーに1回戦で敗北。短期間のオーストラリア、ウィーン遠征を行ったのち、凱旋帰国前にはノーフォークのテーズ道場に短期滞在し、必殺技となるSTRを伝授される。日本定着後、闘魂三銃士として活躍するものの、人気は武藤と橋本の後塵を拝した。

新日本プロレス時代 スーパースターへ…そしてヒールターン(1990年~1994年)

凱旋帰国後は、1990年2月10日に新日本プロレス2度目の東京ドーム大会のメインイベントにおいて、橋本とのタッグでアントニオ猪木、坂口征二組と対戦。4月27日に武藤とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得し、12月26日には師匠であるルー・テーズを破った(この試合がテーズの最後の試合となった)。翌1991年、新日本プロレスの『G1 CLIMAX』の第1回大会で武藤を破りメインイベンターとしての地位を確立した。

1992年にも再びG1で優勝し、同時にNWA世界ヘビー級王座を獲得。このG1連覇により“夏男”と呼ばれるようになる。1992年9月23日、スティーブ・オースチンとのNWA世界ヘビー級王座戦において古傷の首を悪化させてしまう。1993年1月4日、グレート・ムタとのNWA・IWGPダブルタイトル戦で敗戦。1993年のG1クライマックスでは準決勝で馳浩に破れた。1994年1月、橋本のIWGPヘビー級王座に挑戦するも敗戦。1994年8月、G1クライマックス決勝でパワー・ウォリアーを破り、3度目のタイトルを獲得すると、「武闘派宣言」をしてヒールターン。黒を基調としたコスチュームに一新し、馳を大流血に追い込んだ末出血する頭部を掻きむしりながらのSTFで破った。テーマ曲も変え、現在まで続くスタイルを確立する。

新日本プロレス時代 狼軍団、nWo、チーム2000(1995年~2004年)
1995年に天山広吉、ヒロ斎藤とヒールユニット狼群団を結成。1996年に新日本と提携していたWCWに参戦、ハルク・ホーガン率いるnWoに加入し、帰国後にその日本支部としてnWo JAPANを結成。その総帥としてグレート・ムタ(すでに武藤敬司として活躍)ら日本人、外国人メンバーを次々と増員し、“nWo Tシャツ”が大量に売り上げられるなど、一大ムーヴメントを起こし、1997年度の『プロレス大賞MVP』を受賞した(1995年度は天山と最優秀タッグ、1996年度は天山、H斎藤との狼軍団で最優秀タッグを受賞)。1998年8月8日、大阪ドームで藤波辰爾を破り、8回目の挑戦にして遂に悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠。しかし首の負傷により、防衛戦を行うことなく王座を返上、長期欠場に入った。

復帰後の1999年、AKIRA、ドン・フライらと共にTEAM 2000を結成。武藤率いるnWoと抗争を開始し、2000年に武藤との決着戦に勝利。nWoを消滅させ、nWoの残存勢力を吸収し組織を拡大。同年、所属選手の大半が離脱し、存続の危機に陥った全日本プロレスから渕正信が新日本に登場。蝶野選手がマイクパフォーマンスで応戦し、対抗戦の口火を切った。単身全日本プロレス日本武道館大会に歴史的参戦。渕とシングルマッチを行い勝利後、「お前ら家に帰ってマスでもこいてろ!」とアピールし全日本ファンを敵に回した。

2001年は武藤率いるBATTと抗争。2002年2月の札幌大会でアントニオ猪木に指名され、新日本プロレスの現場責任者となり、5月2日の東京ドーム大会でプロレスリング・ノアの三沢光晴と初対決。30分ドローに終わる。8月には4度目のG1優勝を果たした。大会後、魔界倶楽部、高山、藤田和之ら外敵との抗争に入り新日本隊に合流し、TEAM 2000は自然消滅。2003年にノアに初参戦、三沢と組み小橋建太・田上明組と対戦。5月の新日本東京ドーム大会では小橋の持つGHCヘビー級王座に左足靭帯損傷の状態で挑戦。敗れるも“ミスタープロレス対ミスタープロレス”と称されたこの試合で蝶野は小橋のハーフネルソンスープレックス6発を受けきって見せ、小橋と共にファンの大喝采を受けた。

新日本プロレス時代 ブラックニュージャパン、レジェンド(2005年~2010年)
2005年にはヒールユニット、ブラックニュージャパンを結成。8月、G1で5度目の優勝を果たし、同年に急逝した橋本真也に優勝を報告した。長州力が新日本に戻ってくると反長州を掲げ抗争を開始。2006年には新日本社長サイモン猪木と抗争を開始する。2007年1月4日、東京ドーム大会で武藤とタッグを結成して勝利。G1 CLIMAXにおいて真壁に敗北をした後、リング上にて長州、越中、マシン、ライガーを呼び出し、新軍団結成を呼びかけた。

2007年9月1日&2日、幕張メッセ国際展示場・11ホールにおいて『蝶野王国2007 in 幕張』を開催。長州率いる『LOCK UP』、藤波率いる『無我ワールド・プロレスリング』、新日本プロレスの3団体合同興行となった。これと同時に三田証券と組んでイベントを証券化することも発表された。資金調達の手法としてファンドの活用を行うことはプロレス界にとって初めてのことであった。2008年から、自身がGM(ゼネラルマネージャー)を務める『PREMIUM』興行を開催。

2009年1月4日、東京ドーム大会でケビン・ナッシュ、カート・アングル、長州力と日米レジェンドタッグを結成し、G・B・Hに勝利を収めた。10月3日、ノア・大阪府立体育会館で行われた三沢光晴追悼興行に参戦。かつて戦った小橋と、GHC王者の潮崎とタッグを結成した。10月12日、蝶野正洋25周年特別興行『ARISTRIST IN 両国国技館』開催。自身は小橋と武藤とタッグを組んでメインイベントに登場して勝利した。

2010年1月4日の東京ドーム大会を最後に、首や両膝の治療と「体のリビルド」のために長期休養に入った。1月21日に自身の25周年記念パーティーを行い、これに先立って行った会見の中で、2010年1月末をもって新日本プロレスを退団し、アリストトリスト所属のフリーランスとなった。

フリーランス(2010年~現在)
2010年11月5日・6日の全日本プロレス台湾興行に参戦。11月30日には師匠であるアントニオ猪木が会長を務める「イノキ・ゲノム・フェデレーション」(IGF)のエグゼクティブプロデューサー就任を発表。プロレスデビュー50周年を迎えた師匠・アントニオ猪木に協力するため、IGFでは選手としてはリングに上がらずプロデュースに専念した。2011年3月6日、ZERO1両国国技館大会で行われた橋本真也の息子・大地のデビュー戦の相手を務めた。9月18日、仙台で東日本大震災 復興チャリティープロレスイベント『FIGHT & LOVE~若林区六郷・七郷~』を開催。同年12月末で契約満了によりIGFのエグゼクティブプロデューサーを退任。2012年4月20日、後楽園ホールでの藤波辰爾デビュー40周年記念大会に参戦し、H斎藤&AKIRAと組みTEAM2000を一夜復活させる。9月2日、大阪府・寝屋川市立市民体育館で開催されたいじめ撲滅をテーマにしたチャリティープロレスで橋本大地と初タッグを結成した。

2013年1月4日、全日本プロレスの後楽園ホール大会において公開調印式を行い全日本のアドバイザーに就任。1月13日、レジェンド・ザ・プロレスリングの後楽園ホール大会で天山&ライガーとタッグを組み、長州&藤波&坂口征夫(坂口征二の長男)と対戦して勝利を収める。1月16日、全日本プロレス大田区総合体育館で諏訪魔&ジョー・ドーリングとタッグを結成し、大森隆男&浜亮太&中之上靖文と対戦した。

レスラーヒストリー

<1984年>

・4月21日 新日本プロレスに入門。

・10月5日 越谷市民体育館において、同じく初陣となる武藤敬司戦でプロデビュー。体固めで敗れる。

・10月15日 石川県産業展示場2号館で野上彰(現:AKIRA)を下し、デビュー8戦目にしてシングル初勝利をあげる。

<1985年>

・3月4日から4月18日まで開催された『第1回ヤングライオン杯』に出場。9選手が参加し8位に終わる。

・4月からアントニオ猪木の付き人となる。

<1986年>

・2月28日から3月26日まで開催された『第2回ヤングライオン杯』に出場。8選手が参加し5位に終わる。

<1987年>

・2月23日から開催された『第3回ヤングライオン杯』(9選手参加)でリーグ戦2位の成績を収め優勝決定戦に進出。

・3月20日、後楽園ホールにおける『第3回ヤング・ライオン杯優勝決定戦』で同期の橋本真也(リーグ戦1位)を破り優勝。欧州武者修行の切符を獲得。

・6月12日 両国国技館の壮行試合で木村健吾(現:健悟)と組み、ケビン・フォン・エリック、トニー・セントクレアー組と対戦。

・6月21日、オーストリアに出発。

・6月23日 ウィーンで開催された『キャッチ・カップ87』に参加。以後、オーストリラリアとドイツを中心にファイト。ドイツではオットー・ワンツのCWAに参戦。

・12月下旬に米国ミズーリ州カンサスシティのWWA入り。

<1988年>

・2月26日 ミズーリ州セントジョセフのシビック・アリーナでマイク・ジョージを破り第2代WWA世界ヘビー級王者となる。

・6月 カナダ・ニューブラウンズウィック地区に転戦。

・7月2日 猪木の呼びかけでプエルトリコ・サンファンに武藤、橋本と共に集結。天下取りにむけて闘魂三銃士を結成する。

・7月29日 闘魂三銃士として有明コロシアムにワンマッチ帰国。藤波、木村、越中詩郎組を相手に反則勝ち。大会後、再びカナダ・ニューブランズウィック地区へ遠征。

・10月 米国アラバマ州に転戦。

・11月11日に開幕した『88ジャパンカップ・イリミネーション・リーグ戦』に特別参戦。藤波&橋本と組みリーグ戦に出場。

・12月7日 大阪府立体育会館で『88ジャパンカップ・イリミネーション・リーグ戦』の決勝戦が行われ、猪木、長州力、星野勘太郎組と対戦。準優勝に終わる。

・12月18日 アラバマ地区への再遠征に出発。

<1989年>

・4月24日 海外遠征から一時帰国し、プロレス界初となる東京ドーム大会に参戦。IWGPヘビー級王座決定トーナメントに出場するが、1回戦でビッグバン・ベイダーに敗れる。大会後に米国再遠征に出発。

・5月5日 テネシー州ノックスビルでマイク・デービスと組み、リッチ・ブラザーズを破りCWFタッグ王座を獲得。

・6月20日から7月8日までオーストラリアのグラーツで開催された『グラーツトーナメント』に参加。

・7月10日から8月22日までウィーンで開催された『ウィーントーナメント』に参加。

・9月25日 凱旋帰国直前にバージニア州ノーフォークのルー・テーズ道場で海外遠征の総仕上げの練習に入る。STFを習得。

・10月13日 後楽園ホールの凱旋試合で橋本とタッグで激突。喧嘩試合となり反則負け。

・12月31日 ソビエト連邦(現・ロシア)モスクワで開催された初のプロレス興行に参加。チムール・ザラソフと対戦し、腕ひしぎ十字固めを決め、レフェリーストップ勝ち。

<1990年>

・1月5日 『ニューイヤー・センセーション・タッグトーナメント』に越中とのコンビで出場。決勝戦でスーパー・ストロング・マシン、佐野直喜(現:巧真)組を下して優勝。

・2月10日 東京ドーム大会のメインイベントで橋本と組み、猪木&坂口征二と対戦。試合直前の意気込みで橋本が「時は来た!」と名言を残す。試合では猪木の延髄斬りに敗れる。

・4月13日 東京ドームでWWF、全日本、新日本の3団合同興行『日米レスリング・サミット』が開催され、長州とタッグを結成。M斎藤&橋本組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦したがベルト奪取ならず。

・4月27日 東京ベイNKホールで武藤とタッグを結成し、マサ斎藤&橋本組を下し、第12代IWGPタッグ王者となる。

・5月26日 津市体育館での『長州力vs闘魂三銃士シングル3番勝負』の第2戦で長州にリングアウト負けを喫する。

・7月9日 青森野辺地町体育館で闘魂三銃士が約2年ぶりにトリオ結成。

・8月1日~7日 後楽園ホール7連戦で『闘魂三銃士 突撃7連発』と銘打たれた7番勝負が組まれ、武藤とのコンビでタッグ6番勝負に挑み全勝で終える。

・9月1日~3日 中国・黒龍江省ハルピン市労働者体育館で開催された『日中友好記念特別トーナメント』にエントリー。決勝戦で佐々木健介を下して優勝する。

・12月26日 浜松アリーナでテーズと特別試合で対戦。テーズ直伝のSTFで勝利を収め、恩返しを果たす。

<1991年>

・5月31日 大阪城ホールで藤波が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。同王座にはこれが初挑戦となったが惜敗。

・6月12日~14日 WCW短期遠征を行い、テネシー州ノックスビルとミズーリ州セントルイスでスタイナーズが保持するIWGPタッグ王座に挑戦するも敗北。

・8月11日 『G1 CLIMAX』第1回大会最終戦の両国国技館大会における優勝決定戦で武藤を撃破しG1初優勝を飾る。

・11月17日 長崎国際センターにおける『SGタッグリーグ戦』最終戦でリーグ戦同点2位の藤波、ベイダー組と対戦。クラッシャー・バンバン・ビガロとのコンビで優勝を目指したが、藤波組に敗れて3位に終わる。

<1992年>

・1月4日 東京ドーム大会でレックス・ルガーが保持するWCW世界ヘビー級王座に挑戦するもベルト奪取ならず。

・6月11日 選手会長に就任。

・8月12日 『G1 CLIMAX 1992』最終戦の両国国技館大会における優勝決定戦でリック・ルードに勝利。G1連覇を達成すると同時に第79代NWA認定世界ヘビー級王者に輝く。

・9月23日 横浜アリーナでスティーブ・オースチンの挑戦を退けNWA認定世界王座初防衛に成功。

・10月21日 トニー・ホームとのコンビで出場した第2回『SGタッグリーグ戦』最終戦が横浜アリーナで行われ、7チーム中3位に終わる。

・11月23日 両国国技館でスコット・スタイナーを下してNWA認定世界王座3度目の防衛に成功。

・12月28日 ジョージア州アトランタにおける『スターケード92』でグレート・ムタの挑戦を退けNWA認定世界王座4度目の防衛に成功。

<1993年>

・1月4日 東京ドームでIWGPヘビー級王座のムタと、NWA認定世界ヘビー級王座を賭けたダブルタイトルマッチで激突するも惜敗。NWA認定世界王座を失う。

・2月16日 両国国技館大会で闘魂三銃士が正式に解散を発表。

・8月7日 『G1 CLIMAX 1993』最終戦の両国国技館で行われた準決勝で馳浩に敗れて3連覇ならず。

・9月12日 WAR幕張メッセ大会で天龍源一郎とのシングル初対決が実現。

・11月4日 橋本とのコンビで出場した第3回『SGタッグリーグ戦』最終戦が両国国技館で行われ、10チーム中3位に終わる。

<1994年>

・1月4日 東京ドームでIWGPヘビー級王者の橋本に挑戦するも王座獲得ならず。

・5月1日 福岡ドームの『世代闘争3番勝負』にて、藤原喜明とのシングル対決を制す。

・8月7日 『G1 CLIMAX 1994』最終戦の両国国技館大会における優勝決定戦でパワー・ウォリアーに勝利。3度目のG1優勝を果たす。

・9月19日 石川産業展示館の馳戦に黒いコスチュームで登場。ヒールファイトで馳を血祭りにあげ、武闘派に転向。

・9月27日 大阪城ホールで橋本の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦、ベルト獲得ならず。

・10月30日 第4回『SGタッグリーグ戦』最終戦が両国国技館で行われ、マシンとのコンビで優勝決定戦進出を果たすが、試合中にマシンと仲間割れ。マスクを脱ぎ捨てて怒り狂うマシンを置き去りにして試合を放棄する。試合はマシンがヘルレイザースに敗れ準優勝に終わる。

・12月17日 ドイツブレーメンで開催されたCWA『ユーロ・キャッチ・フェスティバル』に出場。

<1995年>

・2月12日 後楽園ホールにおいて天山広吉、ヒロ斎藤と狼軍団を結成。

・4月28日~29日 北朝鮮・平壌で2日間にわたって開催された『平和の祭典』に参戦。

・5月3日 福岡ドームで冬木弘道とタッグを組み、テリー・ファンク、越中組と対戦するも惜敗。

・6月12日 大阪府立体育会館で天山と組みIWGPタッグ王座決定戦に挑み、橋本&平田淳嗣を下して第25代王者組に輝く。同タイトルは2度目の戴冠。

・10月30日 第5回『SGタッグリーグ戦』最終戦が広島グリーンアリーナで行われ、天山とのコンビで優勝決定戦に進出。橋本、平田淳嗣組、山崎一夫、木戸修組を下して同大会初優勝を果たす。

・11月25日 Uインターの両国国技館大会に天山と組み参戦。安生洋二、高山善廣組を下す。

・12月27日 テネシー州ナッシュビルで開催されたWCW『スターケード95』に参戦して約4年ぶりにL・ルガーと対戦するもリベンジならず。

<1996年>

・3月9日 右肘手術のため欠場していたが、岩国市体育館大会で復帰。

・4月29日 東京ドーム大会でL・ルガーとシングルマッチを行いSTFで雪辱。

・5月2日 フロリダ州オーランドでのWCWテレビ・テーピングに登場。

・7月16日 札幌中島体育センターにおいて、天山とのコンビで山崎、飯塚孝之(現:高史)組を下し、第28代IWGPタッグ王者となる。同タイトルは3度目の戴冠。

・8月6日 『G1 CLIMAX 1996』最終戦の両国国技館大会で武藤を破り、優勝決定戦に進出したが、長州に敗れ準優勝に終わる。

・12月16日 フロリダ州ペンサンコーラでハルク・ホーガンと会談し、nWoに加入。同日開催されたWCW『マンデー・ナイトロ』の生中継ではnWoのメンバーとしてクリス・ジェリコと対戦し反則負け。

<1997年>

・1月4日 東京ドーム大会で1日2試合を敢行。大日本プロレスから参戦した中牧昭二に完勝したが、天山とのコンビで挑んだIWGPタッグ王座防衛戦では藤波、木村組に敗れIWGPタッグ王座から転落。

・1月20日 単身渡米し、nWoの一員としてWCWのサーキットに合流。

・1月25日 アイオワ州シーダーラピッズにおけるnWo主催PPV大会『ソールド・アウト』でnWo対WCW対抗戦に出場してアレックス・ライトを撃破。

・2月2日 nWoのスコット・ノートン、マーカス・バグウェルと組んで新日本の後楽園ホール大会に出場。狼軍団の天山、H斎藤も合流し、nWoジャパンの母体を築きあげる。

・5月26日 WCWテネシー州ナッシュビル大会で、かねてから勧誘していたグレート・ムタをnWoジャパン入りさせる。

・7月13日 フロリダ州デイトナビーチにおけるWCWのPPV大会『バッシュ・アット・ザ・ビーチ』にムタと共に出場。

・7月20日 フロリダ州オーランドにおけるWCWの『マンデー・ナイトロ』の試合中に右足首を脱臼。8月の新日本プロレス『G1 CLIMAX 1997』にはコルセットをつけて強行出場するもトーナメント2回戦で敗退。

・10月19日 nWoジャパンがジャックしたシリーズ『nWoタイフーン』最終戦の神戸ワールド記念ホール大会で、武藤とのコンビで佐々木健介、山崎組を下し、第33代IWGPタッグ王者に輝く。同タイトル4度目の戴冠。

・12月8日 大阪府立体育会館における第7回『SGタッグリーグ戦』優勝決定戦で、武藤とのコンビで橋本、中西組みを下し、同大会2度目の優勝を果たす。

<1998年>

・1月4日 東京ドームで横浜ベイスターズの三浦大輔投手、鈴木尚典選手をセコンドに引き連れて登場し、越中をシングルマッチで撃破。

・1月29日 アリストトリストの設立を発表。

・4月4日 東京ドーム大会で武藤と組み、橋本、西村修組を相手にIWGPタッグ王座防衛戦を行い2度目の防衛に成功。

・6月5日 武藤の負傷により返上となったIWGPタッグ王座決定トーナメントに天山とのコンビで出場。日本武道館で行われたトーナメント決勝戦で天龍、越中組を下し、第34代王者に輝く。同タイトルは5度目の戴冠。

・6月16日 WCW『マンデー・ナイトロ』ロングアイランド大会に出場。nWoがホーガン派、ナッシュ派に分裂する中で、ホーガン派と合体。

・6月18日 ペンシルバニア州フィラデルフィアでのWCW『サンダー』大会でデイビーボーイ・スミス、ジム・ナイトハートを相手にIWGPタッグ戦を敢行。反則負けで初防衛に成功するも、新日本プロレスはタイトル戦として認めず。

・8月8日 大阪ドームで藤波を下し、第22代IWGPヘビー級王者になる。デビュー14年して同タイトル初戴冠を成し遂げる。

・9月19日 愛知県体育館での試合中に首を負傷。椎間板脊椎症のため翌日の大会より長期欠場に入り、IWGPヘビー級王座返上を余儀なくされる。

<1999年>

・2月5日 札幌中島他イックセンター大会で約5ヵ月ぶりに戦列に復帰。自身の欠場中にnWoジャパンを掌握した武藤との抗争がこの日より始まり、武藤、H斎藤組と1対2のハンディキャップマッチで対戦。助っ人に入ったAKIRAとの共闘を宣言する。

・4月10日 東京ドームの第0試合で、大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。入場ではドイツ軍用車ハマーに乗りながら登場。試合は両者KOで引き分けに終わる。

・5月 ドン・フライ、AKIRAと新ユニットTEAM2000を結成。

・5月31日 大阪府立体育館大会で、大仁田とまさかの合体。毒をもって新日本プロレスに揺さぶりをかける。

・7月21日 札幌中島体育センターで、大仁田、AKIRAとトリオを結成。武藤、天山、H斉藤を破る。

<2000年>

・1月4日 東京ドームで武藤に勝利し、nWoジャパンとの抗争に終止符を打つ。

・1月17日 2年ぶりにWCWに登場。オハイオ州コロンバスの大会に参戦し、全米にTEAM2000をアピール。

・2月 TEAM2000の新メンバーとして、nWoジャパンに所属していたノートン、天山、小島、ノートン、H斎藤、さらには狂犬隊の小原道由、後藤俊達を加入させ、一大勢力を築き上げる。

・4月7日 東京ドームでムタと対戦。試合はムタの毒霧攻撃による反則勝ち。

・9月2日 全日本プロレスに初参戦。日本武道館で渕正信とシングルマッチで対戦。大ブーイングの中で完勝した。

・10月21日 全日本の愛知県体育館大会に出場し、6人タッグマッチで川田利明と初対決。

<2001年>

・5月5日 福岡ドームで武藤率いるBATTと6人タッグで対戦。天山&小島と組んだが、武藤&馳&太陽ケアに敗れる。この年は、注目度が高まる総合格闘技に対して、BATTとの抗争で純プロレス路線をアピールした。

・10月27日 全日本プロレスの日本武道館大会いおいて、三冠ヘビー級王座に初挑戦。王者・武藤に惜敗して王座奪取ならず。

<2002年>

・2月1日 札幌中島スポーツセンター大会のリング上で、猪木から現場責任者を任命される。

・3月4日 尼崎市記念公園総合体育館におけるIWGPタッグ王座決定トーナメント決勝戦にて、天山とのコンビで中西&永田組を下し、第43代王者組に輝く。同タイトル6度目の栄冠。

・5月2日 東京ドームにおいて、プロレスリング・ノアの三沢光晴とのシングルマッチ初対決が実現。30分時間切れドローに終わる。

・8月11日 『G1 CLIMAX 2002』最終戦の両国国技館における優勝決勝戦で高山善廣に勝利。8年ぶり4度目のG1制覇を果たす。

・10月14日 東京ドームにおいて、ジョニー・ローラーと対戦。自身初にして、新日本プロレス初となる男女のシングルマッチで勝利を収める。

・10月26日 福岡国際センター大会で第31代IWGPヘビー王者の永田に挑戦。60分時間切れドローに終わる。

<2003年>

・1月10日 プロレスリング・ノア初参戦となった日本武道館大会で三沢と初タッグを結成。小橋建太&田上明組に激勝。

・5月2日 東京ドームにおいて、第6代GHCヘビー級王者の小橋に挑戦。左足靭帯損傷を負っていたが最後まで戦い抜く。小橋とはこれがシングルマッチ初対決であった。

・7月26日 ハワイのHCWに参戦し、ロパーカを破って第2代HCW認定ヘビー級王者に輝く。

・8月28日 大阪府立体育会館で第32代IWGPヘビー級王者の高山に挑戦するもベルト奪取ならず。試合形式は自身初、そして新日本プロレス史上初となる金網デスマッチで行われた。

9月14日 名古屋レインボーホールで一夜限りの復帰を果たした坂口征二とのタッグで、高山&真壁伸也(現:刀義)に勝利。

<2004年>

・2月 現場責任者を辞任。再びヒールに転向し、新たなユニット(のちのブラックニュージャパンと命名)を立ち上げる。

・9月16日 宮城県スポーツセンターでチェーンデスマッチで天龍に勝利。

・11月3日 両国国技館でデビュー20周年記念興行を開催。長州とタッグを組み、天山&永田組に勝利。

<2005年>

・8月14日 『G1 CLIMAX 2005』最終戦の両国国技館における優勝決勝戦で藤田和之を撃破。3年ぶり5度目のG1制覇を成し遂げる。

・10月8日 東京ドームで新日本プロレス史上初の3WAYマッチによるIWGPヘビー級選手権が実現し、王者の藤田、ブロック・レスナーと対戦。

・10月30日 神戸ワールド記念ホールで天山とコンビを組み、棚橋弘至、中邑真輔組を下し、第48代IWGPタッグ王者となる。同タイトル7度目の戴冠。

<2006年>

・7月 サイモン猪木社長と抗争を展開

・11月6日 中邑とのコンビでエントリーした『G1 TAG LEAGUE』最終戦の後楽園ホール大会において、棚橋、金本浩二組との優勝決定戦を制して優勝を果たす。

<2007年>

・1月4日 東京ドーム大会で武藤敬司と約8年ぶりにタッグを結成し、天山、小島組を撃破。

・3月10日 幕張メッセ国際展示場・10ホールにおいて、自身初のプロモート興行『蝶野正洋~CRASH』を開催。

・8月11日 両国国技館において、長州、越中、マシン、ライガーらとレジェンドを結成。

・9月1日~2日 幕張メッセ国際展示場・11ホールにおいて2度目のプロモート興行『蝶野王国2007 in 幕張』を2日間にわたって開催。長州率いる『LOCK UP』、藤波率いる『無我ワールド・プロレスリング』、新日本プロレスの3団体合同興行となった。

<2008年>

・3月21日 千葉ポートアリーナで3度目のプロモート興行『CRASHⅡ』を開催。

・5月5日 自身がジェネラルマネージャー(GM)を務める『PREMIUM』の第1回大会を後楽園ホールにて開催。団体の枠を取り外し、多団体の選手が参加した特別イベントは、以後、後楽園ホールにおいて第5回大会(6月27日/第2回大会、2月30日/第3回大会、10月2日/第4回大会、12月26日/第5回大会)まで開催された。

<2009年>

・1月4日 東京ドーム大会でケビン・ナッシュ、カート・アングル、長州力と日米レジェンドタッグを結成し、G・B・H(ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン、飯塚高史、石井智宏組)に勝利を収める。

・8月23日 DDT両国国技館大会に 新日本プロレス入門の経歴を持つポイズン澤田JULIEの希望を受けて一騎打ちを行い勝利。

・8月30日 全日本プロレスの両国国技館で行われた“武藤敬司デビュー25周年記念スペシャルタッグマッチ”に出場して、鈴木みのるとタッグを結成。武藤敬&船木組と対戦した。

・10月3日 ノアの大阪府立体育会館で行われた三沢光晴追悼興行に参戦。小橋、潮崎豪とトリオを結成し、小橋と初めて同じコーナーに立つ。試合では斎藤彰俊、モハメドヨネ、力皇猛組に勝利。

・10月12日 両国国技館において『蝶野正洋25周年特別興行 ARISTRIST in 両国国技館』を開催。自身はメインイベントで武藤、小橋と豪華トリオを結成し、第3世代の中西、小島、秋山準組と対戦する、夢の顔合わせが実現。最後はシャイニングケンカキックで中西を下し、記念大会を勝利で飾った。

<2010年>

・1月4日 東京ドーム大会で“レジェンド”のテリー・ファンク&長州&中西とタッグを結成。アブドーラ・ザ・ブッチャー&矢野通&飯塚&石井智宏組と対戦して勝利を飾る。

・1月21日 デビュー25周年記念パーティーを行った際に、首や両膝の治療と「体のリビルド」のために長期休養に入ることを明かし、2010年1月末をもって新日本プロレスを退団することを発表。

・1月22日 新日本プロレスの沖縄県立武道館大会に出場し、金本とタッグを組み、マシン&タイガーマスク組と対戦。ケンカキックでマシンを破り、所属選手としては最後となった新日本・ラストマッチを勝利で飾る。

・11月5日&6日 全日本プロレス台湾興行に参戦。約10ヵ月ぶりとなった5日のプロレス復帰戦では盟友・武藤とタッグを組み、6日には武藤&船木と初の同期トリオを結成した。

・11月30日 IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)のエグゼクティブ・プロデューサーに就任。プロレスデビュー50周年を迎えた師匠・アントニオ猪木に協力する形で1年間サポート。

<2011年>

・8月11日 大阪プロレス年内最大イベント『大阪ハリケーン2011』に参戦

・8月27日 IGFが両国国技館で開催した東日本大震災復興イベントでK-1MAX2010日本王者の長島☆自演乙☆雄一郎と異色対決を行いSTFで勝利

・9月18日 仙台で東日本大震災 復興チャリティープロレスイベント『FIGHT & LOVE』~若林区六郷・七郷~を開催。

<2012年>

・3月2日 橋本大地デビュー1周年のZERO1に蝶野選手が立会人として登場

・4月20日 『藤波辰爾デビュー40周年・ファイナル~40th.ANNIVERSARY FINAL~』東京・後楽園ホールに参戦!TEAM2000が一夜復活

・9月2日 大阪府・寝屋川市立市民体育館で開催されたチャリティープロレスで、橋本大地選手と初タッグ結成。

・10月7日 全日本プロレスの40周年シリーズ『40th ANNIVERSARY TOUR 2012』開幕戦の10/7後楽園ホール大会でお祝いの言葉とCS放送GAORA生中継でゲスト解説を務める。

・10月21日 女川町『復興・応援チャリティー レジェンドプロレス』に出場

・11月22日 蝶野選手&全日本・内田社長 記者会見詳細

・12月12日 蝶野選手から引退表明をした小橋建太選手へのメッセージを発表。

・12月12日 蝶野選手が長野ホワイトリングに登場も…全日本プロレスの対応に激怒

<2013年>

・1月4日 全日本プロレスアドバイザーに就任した蝶野選手が喝と怒りのビンタ!1・26大田区大会出撃表明

・1月9日 蝶野アドバイザーが全日本事務所で初会見!1/26大田区大会で諏訪魔選手との合体を発表

・1月13日 後楽園レジェンドプロにおける”2013年戦い始め”で勝利!

・1月25日 蝶野&武藤&フレアー&船木&曙が揃い踏み!全日本1/26大田区大会前日に豪華記者会見が実現!

・1月28日 蝶野選手と諏訪魔選手が正式合体!全日本プロレス1/26大田区大会リポート

・3月5日 3/17両国国技館大会の全対戦カードを記者会見で発表

・3月17日 新ガウン&コスチュームで登場!全日本プロレス3/17両国国技館大会リポート

・3月26日 ワールド・オブ・スターダム王者のアルファ・フィーメル選手が蝶野選手を表敬訪問

・3月28日 スポーツナビ、プロレス/格闘技DXで全日本プロレス『チャンピオン・カーニバル』優勝予想

・4月18日 全日本プロレス『チャンピオン・カーニバル』後楽園大会GAORA中継でゲスト解説

・5月11日 小橋建太選手引退で花束贈呈!スカパー生中継でゲスト解説

・9月4日 蝶野正洋プロレス30周年プロジェクト『BLACK FINAL』始動!第1弾「蝶野正洋50歳誕生日パーティー」開催

・9月7日 『BLACK FINAL』第2弾!いわき市久之浜第一小学校で復興支援チャリティープロレス『FIGHT&LOVE 2nd』開催